カテゴリー「愉快な仲間たち」の17件の記事

2009年3月 6日 (金)

新宿西口 「彩宴」 で  (0260)

Nec_0107  西新宿、小田急ハルクのとなりプリンスビル8Fの「彩宴」で中学校の同窓の集まりがあった。年初に九州小倉に転勤した朝日新聞T君と札幌からの僕との上京日程に併せての一方的な企画で、100年に一度の混乱と年度末を控えての多忙な時期に、それぞれてんやわんやのやりくりを強いたことに恐縮しきりの僕。 一昨年の品川のメンバーに今回、初登場のNECの M君と I さんが合流。残念ながら Tさんが欠席となった。それでも総勢7名。

 10分くらい前に現場に着いたのだけれど、誰もいなくて、卒業以来の Iさん登場。その後、製薬会社のメタボリックK君、そしてUさん、NECのM君、それからDICのA君、そして夕方の便で羽田に着いたという 朝日新聞T君は、少し風邪気味で登場。

 数日前まで人数が定まらず予約の小部屋も少し過密気味だったけれど、狭いながらもお酒は進み、話は盛り上がる。出席できなかった青森県庁のK君から日本酒の差し入れと、名古屋に戻ったO君からのカンパなどもあってあっという間の2時間だった。Nec_0096_2 Nec_0106

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2009年2月28日 (土)

吉祥寺-井の頭公園へ行く  (0256)

Nec_0108  朝早く、新宿のホテルを出る。あいにくの雨。仕方なく丸の内線で荻窪に向かい、中央線に乗り換え吉祥寺に向かう。吉祥寺駅に降り立つのは、30数年振りのことになる。当時は、中央線というよりは、渋谷から井の頭線に乗ってやってきたものだった。次女の住む千歳烏山もそうだけれど、吉祥寺などの駅前商店街の風情は、北海道では、なかなか味わえないものだ。観光客相手の狸小路とも違うし、二条市場の雰囲気ともイマイチ違う。コンビニで傘を買い、井の頭公園に向かう。ジブリの森まで行こうかと思ったのだけれどお昼に、約束があるので断念し、ボート場から七井橋、井財天、お茶の水の湧水のあたりを散策し、駅に戻る。 昔の記憶をたどってもとてもたぐり寄せられない。もっともこの冬の季節に来たことはないのだから、無理はない。Nec_0109_2 Nec_0117 Nec_0112  

 約束のお昼になって改札口でK夫妻と再会。わざわざ時間をとっていただき恐縮してしまう。近くのランチレストランへ行き食事をしながらの近況報告。ともに同窓生で、僕もそうだけれど、まあいろんなことがあって、「今」を生きているのだけれど、おふたりとも幸せそうでなにより。創刊準備号の編集にも携わっているという「ジュニア×××」をいただいて、自分も若き頃、物書きというかこういう仕事にあこがれていた頃があったなあ・・・ということをふと思い出す。まあ人生いろんなことがある。すっかりごちそうになってしまって再会を約す。

井の頭公園では、早くも梅の花が咲いていて、いまだ、雪に覆われている我家の庭木のことを思いだす。あと1か月もすれば、半年ぶりに雪の下から芝生が現れ、ガーデニングの季節が始まるんだな。Nec_0119 Nec_0122 Nec_0127

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2009年2月27日 (金)

神楽坂「一邑」  (0255)

Nec_0130 JR飯田橋に着いたのは午後4時過ぎ、一旦、待ち合わせ場所の「一邑」を確認してから、携帯のバッテリーがないことに気づき、DOCOMOショップの充電サービスCを捜しついでに近くを散策。結局、目白通りを飯田橋3丁目から1丁目、九段のグランドパレスまで歩いて諦め、神楽坂まで戻り、結局、コンビニで充電器を買う。普段、車社会で生活している僕としては、こういう機会を利用して歩くことに特別の意識をもっているようなところがあって、別に苦にはならないのだけれど、さすがにこの日は、朝から結構歩いていて、確実に疲れてはいるのだけれどそのことが、また快感だったりもするのだ。Nec_0129 Nec_0132

 F君とは、結婚式以来、yさんとは、2年前の日本橋以来の再会である。同じ高校で同じバレーボールクラブ仲間。語りあうことは多い。「一邑」は、前回の日本橋の時も候補にあがっていたのだけれど、yさん、一押しのお店。僕らの年代にはとても、フィットした味のコクのある和食を楽しみました。お互い歳を重ねてまあ、ある意味大変な時代に突入してはいても、こうしてひととき、十代に戻って、かつ今も昔も語り合える友人と出会えることに感謝したい。

 二次会でのワインバーでは、すっかりF君にお世話になってしまった。ふたりともアメリカでの生活も長く、yさんは来週、サンフランシスコに出張だとか云っておられた。お酒も結構進んで、10時前には、お開きに。 いつか札幌で同じように会いたい仲間ですね。今度は、僕がエスコートして。Nec_0133Nec_0135

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2008年12月12日 (金)

鬼が笑う  (0213)

Nec_0761  今月3日の新宿でのミニ同窓会には、結局出られなくて、出張中のホテルに午後8時過ぎ、わいわいがやがやの携帯電話とメンバーの写メールが届く。ひとりひとり代わって、中には40年振りの仲間もいて再会を約す。大半は、去年の品川での同窓会以来の仲間なのだけれど、最近は、それぞれ在京の仲間を発掘する努力も進んでいて、ひとり、ふたりと新顔さんとの再会が楽しみ。 で、来年の2月頃の上京がなんとか叶いそうで、さっそくアポを取るもののさすがに、まだまだ先の話だしねえ。Yさんからは、「鬼が笑います・・・」との返信メール。 確かに確かに。 どんな突拍子もない会議が入ってしまおうとも、クライアントとのアポが入ってしまおうとも限らない。 まあ、その時は、その時だ。 でもいつもどんな時もそうだけれど、楽しみは出来るっだけ早めに企画して、指折り数えて待つ日々もこれまた楽し・・・であるから、まあこれはこれで良しとしよう。 ミニ同窓会は、どうせ夜だから、何時のフライトで羽田に飛んで、出来れば渋谷の次女を誘ってお昼でもしようかとか、横浜の長男のとこへでも寄って、ついでに中華街でも行ってみようかなどと、これまた楽し。 やっぱり どことなく、おのぼりさんでは、あることは確かなのだが。

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2008年11月23日 (日)

クラス205  (0205)

Nec_0763  2007年の1月から書き始めたこのブログもはや205を数える。単身赴任中は、主に週末だけの投稿ペースだったのが、この4月からは、若干ハイペースに。 意図したわけではないのだけれど、今日このブログを書き始めて、推敲(ぼくだってちゃんとしてる・・)していた処、もう205なんだ・・・と思い始めて今、これを書いている。 何のことはない、高校2年の時のHRが205だったのだ。 ひとそれぞれだとは思うけれど、希望と不安で多感な10代に属する高校生活3年の中で、入学当初の落ち着かなさと3年生半ばあたりからの受験の重苦しさを除いた1年生後期~3年進級あたりの1年半くらいが、ある意味、満ち足りた高校時代であったりもする。 部活でも交友関係でも。

 卒業後のクラス会ともなれば、どういうわけか、当たり前のように最終学年のクラス単位で開かれるようになってしまうのが通例だけれど、一番高校生らしい1年を過ごした時期と言えば、ぼくにとっては205の教室で過ごした1年ということになる。 70年安保の前年で、校内も騒然としていた時期でもあったけれど、今から思えばみな、なつかしいことばかりである。 「2000年のクリスマスイブ」の原点も、この時代にできた。 僕の知る限り、すでに2人の物故者がいるけれど、みな50代後半のこの過酷な時代を生き抜いていることだと思う。 

 会いたい。

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2008年10月18日 (土)

mixiに入るの巻  (0194)

Nec_0714  東京の次女の推薦で、mixiに入る。まあ異業種交流会のnet版みたいなものだけれど、いわゆる匿名性からくるある種の自由度とついて回るリスクとの兼ね合いは、承知の上で、興味は津々。それでも、どの程度実効性があるのかは、これからだけれど、既存メンバーの紹介がないと入会できない・・・というところが、ある種、会員制クラブに似て、でもそれが、どれだけnet社会のリスク軽減になるのかは、わからない。まあ、そういう覚悟はしていないといけないということにはなる。当たり前だけれど。

 うんちくはこれくらいにして、とりあえずは、そつのないプロフィールを登録して興味のあるコミュニティに6つくらいはいる。すぐさま、共通のコミュニティ仲間からいろんな発信があって、これは、まず便利でいただきの情報満載。取捨選択は、しなきゃあいけないけれど、いろんなお友達のオファーが、殺到。あまりのめり込むでもなく、適度な距離を保ちつつ、mixiでの一歩のはじまりはじまり。コードネームは、「●●○。○。○」(なんのコッチャ)。ちょっぴりハードボイルドな香り。(ちゃうか)

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2008年9月20日 (土)

東へ西へ  (0179)

    朝日新聞のT君が、東京から小倉の西部本社に栄転だというので祝福の電話をする。サラリーマンの勤めで転勤は、避けうるべきもないが、地位も責任も上昇していく世代としては、悠長なことは言っていられないのも事実だし。単身赴任かと思ったら、御夫婦で・・・というので愛妻家の彼としては、上出来上出来。T君が東京を離れることによって、東京在住の仲間とのミニ同窓会への影響が心配だけれど、(彼は、重要な世話役人のひとりである)、月に2度ほど、上京するというので、年内の、示し合わせての再会は、問題なかろうとのこと。たった今も、羽田からの便で戻ったばかりだという彼、元気そうでなにより。そういう僕も、4月から新たなポストに就いて、新しいプロジェクトが始まっている。まだまだ、先は長い。

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2008年3月22日 (土)

卒業式シーズン  (0113)

          Aさんは、地域Nec_0171で工務店を経営されていて、多忙な中でも地域社会への貢献、ボランティア活動に積極的な方である。僕よりは少し若い。息子さんが中学校に在籍中ということもあって数年前からPTAの会長職を引き受けて何かと学校だとか教育関係者と面談する機会も多いとのこと。そのAさんが、つくづく云うのには、「今の、文科省も教育委員会も学校現場も危機的状況でなってない・・・」と嘆くのである。

 一例として、Aさんの息子さんの中学校も以前ほどではないにしろ、ご多分に洩れず卒業式シーズンともなると、例の「君が代、日の丸問題」で、教育委員会、校長、先生方とひと悶着あるらしい。Aさんが云うには、100歩譲って、教育的見地、政治的立場、中教審に対するスタンス・・・などなどそれらは、この際、論じないにしても 「君が代、日の丸」に問題意識をもっている先生方の方が、より部活動に熱心で子どもとの日々の連絡帳などへの書き込みも意欲的であるのに対して、いわば、「君が代、日の丸」、そんなの関係ねえ・・っていう立場のノンポリ先生方(実はこちらの方が圧倒的多数派なんだけれど)の方が、サラリーマン的で部活動の顧問をしたがらず、夕方時間がきたらすぐ帰り、PTAの行事も土日、祭日は極力関わりたくないという態度が見え見えで、こっちだって、工務店経営ともなれば、土日も忙しいのに、何をか云わんやだと怒っておりました。 

  「君が代、日の丸問題」を教育現場に持ち込んだのが、いずれの立場の方々であるにせよ、子供たちの教育の場である筈の学校現場で、何が起きているのか? いじめ問題の隠蔽体質とか、先生方の(まあいろんな方がおられるのだろうけど・・・)採用方法も「職場」環境も甚だ問題あり!・・・というほかはない、で?どうする?

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2007年10月21日 (日)

笠寺のS君  (0071)

2113_01  ホテルオークラ札幌で27年振りにS君と会う。 僕の結婚式に出席してくれて以来の再会となる。今までいろいろと機会はあったのだけれどお互いの都合が何となくつかなくて今日に至った。 名古屋時代、彼は、笠寺に住んでいて、当時、走っていた市電に乗って高校のあった古出来町からよく遊びに行ったものだ。 名大から豊田通商に入って東京時代を経て今は、名古屋に勤務しているとのこと。同窓生と再会していつも思うのは、同じ場面、同じ空間を共有していても、記憶として残るエピソードは、人それぞれで、ウン十年前の共有していたはずの経験の記憶・・・といっても相手から思わぬ指摘を受けたり、こちらの鮮明な記憶が、相手にこれっぽっちも残っていなかったりと・・・そのすりあわせがこれまた楽しい。 ある意味、そんなことは日常茶飯事で、現在進行形であったりするものだとつくづく思う。 「2000年のクリスマスイブ」 の約束のことが、何故か、S君の記憶に残っていて、時系列的に思い起こしていても、いつ彼にそんなことを話したのか? どう考えても辻褄が合わなくて不思議な気分になったりもした。 あの時、あの場面の気にかけていた色んなことなどを、確認しようにも、それは ゲームセット! 「終わった」 ことなのだ。

 そんな風にして、時はめぐり、 すすきのを出る頃には、僕らは10代のように風をきって歩いていたように思う。

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2007年10月 7日 (日)

異業種交流会  (0067)

Nec_0122  数年前から、ひょんなことから「異業種交流会」なるものに参加して、わいわいガヤガヤやっている。 弁護士やら学校の先生やら市職員やら大手商社の札チョン族に中小企業のオーナーやらグルメ店のオーナーやら多士多才で、話題は尽きない。 年代的には30代後半から60過ぎで、「現役」であることが、唯一の参加資格みたいなものだから、皆さんとっても元気ハツラツ! 大体、いつも30人くらい集まって4から5人が、自己紹介を兼ねて近況報告をする手筈になっている。常連さんもいるし、半年に1回ペースの参加者もいて、事前の申し込みだけで特に決まりはない。普段は、閉鎖的な社会、組織に属していて、利害関係者のせめぎあいみたいな坩堝に投げ込まれて、否応もなしにあくせく過ごしている身からちょっと離れて、地域社会の話からプライベートなライフワークの話から人生の先輩やら後輩やら失敗談、成功談とても大切な集まりとなっている。ものの見方というか、人生の価値観みたいなものも客観的に触れ合うことができるし、普段、巷で競争社会にどっぷりつかっていて、たまに世俗を離れてチャレンジする登山に似てなくもない。山登りする人たちの共通の理念みたいなものがあって、自分をそういう環境におく事が大切な時期、時代とも言える・・と思ったりもして。まあ求めて、行動しなければ経験できない時間・・・というものは、確実にあると思う。まあ月1回くらいのペースの精神的な山登りみたいなもんです。   

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2007年7月15日 (日)

ミニ同窓会(品川の巻)  (0045)

Nec_0135  小学校のミニ同窓会が品川駅近くのイーストワンであった。連休前の忙しい中、それぞれやりくりをして、札幌から来た僕を迎えてくれた。前回4月の時は、出られなかったので今回は、僕の日程にあわせてもらった感じである。小学校の同窓が、首都圏に6人も居て、内女性2名。僕にとっては、ほとんどが40年振りの再会でYさん持参の古いアルバムには、懐かしいやら恥ずかしいやら・・・。 中高の同窓と違って、小学校の同窓ともなると、ローカルな幼なじみの仲間みたいなもので、お互い年は重ねても、社会に揉まれる前の「原風景」みたいなところお互い感じられて、それはそれでとても懐かしく楽しいⅠ日でした。

明日から台湾に総勢500人で社員旅行に行くと言っていたメタボリックK君は、途中退席して終電で成田へ直行し、残った僕ら(朝日新聞T君、DICのA君、コクヨのO君、それとTさんとOさん)はそのあと駅近くのビッグエコーにカラオケに行って、(もちろん40年前にカラオケは無いわけだけど)(^^)、初めて聞く歌声に、新しい発見もあったりして品川をあとにしたのでした。

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2007年5月 5日 (土)

京都のM夫妻  (0028)

Photo_3    高校時代は、一クラスに女子が7人程度の進学校だった(もちろんあとの40人程度は男子です)。それで普通科が10クラス。ちょうど70年安保を挟んでの卒業で、校長室が占拠されたり、高校生ながら全校デモが行われたり、そういう時代だった。そんな中でも、その後、僕の知る限り、僕らの学年の同窓から6組程度のカップルが誕生。その中の1組が、今日の主人公夫妻。ふたりとも京都の大学へ進んで、20代前半、僕が北海道へ「入植」するまでの間、一番多くの時間をともにしたふたりといえる。週末のたびごとに京都で会い、連休が続くと遠く能登や越前海岸に出かけたりもした。当時、上賀茂神社周辺のアパートにM君は住んでいて、Hさんは、叡山電鉄沿線に下宿していて、いろんな出来事があった。彼等のおかげで、京都の歴史にも地理もより身近になって、その後の僕に与えた影響は、計り知れない。要するに馬があったのだ。『神田川』を地で行くように、3人でタオルを片手に銭湯に行って、酒を飲み交わし夜遅くまで語り合ったりもした。その後M君は、西陣の方で地域コミュニティの館長を補佐し、やがて若くして館長になり、僕は、北海道に転勤が決まり、なかなか会えない環境になったのだけれど、20代後半になって、自然とふたりからの結婚式の案内状がやってきて、僕は、札幌から駆けつけた。その後、札幌にスキーツアーに家族4人で来て、我が家に泊まってくれたり、数年前には、ご夫妻で、再来泊に来てくれたり、僕も名古屋に帰省した時に京都まで足を伸ばしたりと・・・・そんな交流が続いている。20代前半のあの頃、3条大橋か4条近くに『風の木亭』というお店があって、3人で飲みによく出かけた。高校時代の延長線上で、僕らは、気があったし、同じベクトルの問題意識を共有できていたように思う。その時は、ごく普通の位置づけの店だったんだけど、こうして今から振り返ると、京都の思い出は、街のあちらこちらにあるのだけれど、今は、もう多分ないであろう『風の木亭』に、無性にも一度、行きたい気持ちでいっぱいになる。

※写真は風の木とは関係ありません

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2007年5月 3日 (木)

顔のデカイT君  (0027)

 たびたびこのブログに登場するT君。幼稚園~小学校~中学校~高校と何と15年の長きに渡って同じ道を進む。幼少の頃からの逸材だった。小学校の頃、5年生で習う漢字を3年生の頃スラスラと書いてびっくりした記憶がある。当時から3頭身で顔がデカかった。いや、彼の場合は、デフォルメした親しみをこめてそう呼ぶのであって、決して世間一般世俗的な意味での態度のデカい奴とは、違うので念の為。確か野球部に所属し、従っておのずからついたニックネームがMr.ベースマン、だとかないとかは、風の便り。彼がその後いうのには、僕には理解できないのだけれど、苦労して一ツ橋に行ったとのこと。一ツ橋も馬鹿なことをやっちゃあいけない。人を見る目が無い!。その後、朝日新聞に入社し現在、東京本社に属する。お互い社会人になって、学生時代にも増して親密になったのは、ひとえに彼の人徳によるところ多し。札幌出張の折には必ず声をかけてくれて、その縁で僕の人脈が広がったこともこれまた多し。40過ぎて転職を考えていたとき、より親密に心配し、相談に乗ってくれたのも彼だった。仕事柄、アンテナが多く、世話好きで、誠実な友人のひとりである。T君がのたまうには、「人生に3つの幸運あり、1つは、我らが母校、同じA高校に入ったこと。2つめに嫁さんと知り合って結婚したこと。3つ目は、朝日新聞に入社したこと。」 なのだそうだ。僕が思うにその3つとも、幸運でもなんでもなくてT君が努力と実力で手に入れたものばかりなのだけど、さすがに2つ目の嫁さんとの件について、僕らの面前でぬけぬけとシャアシャアといってのける愛妻ぶりには、内心拍手をおくっているのです。お互い50を過ぎて顔のデカさだけはそのままに、髪は少し薄くなり、腹は少し膨らんだ。ホントは、ちょっぴりダンディな顔写真も掲載しようと思ったのだけど、このブログでは、著作権、肖像権の問題やらプライバシーの問題に配慮してるのと、何といってもこのスペースには、物理的に顔写真がはいらないということで割愛。残念!!

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2007年4月28日 (土)

建材商社Oさん  (0024)

建材商社の社長のOさんは、54歳で同じ年。何故か気が合って取引は直接無いのだけれどよく飲みに行く。商売がらみの活動の他に、地域のボランテイアとか、郷土史の発掘とか、環境問題とかへの取り組みだとか、関心も造詣も深い。明治以降の国の施策によって開拓された歴史から、北海道の人々は一般的に本州の人に比して、しがらみが無く自由で合理的で革新的といえる。僕なんかはまさに「入植」1代目となるわけだけど、札幌中心の道央地域が大体、爺ちゃん婆ちゃんが東北だの北陸だのさまざまな理由で「入植」してきたという世代で現在3代目くらい。もちろん函館とか十勝だとかの地域でもそんな感じ。別海だとか道東の方へ行くと自分の親の代、もしくは僕と同じ、昭和40年代後半から50年代にかけてやってきた世代という人もかなりの数います。社長のOさんは、というと最近、自らのルーツを遡っての調査に熱心で、親兄弟から祖父母兄弟、さらに1代遡ってと父方のルーツが秋田の○○町だの母方のルーツが石川県金沢市の○○までやっとたどり着いたとか涙ぐましい努力をしていると聞きました。フムフム。

僕はというと(まあ、一般的には祖父母の代までは、割と順調に戸籍なんかで遡れるのでしょうが、さすがにその上の世代に調査が及ぶ段階でギブアップ・・・となることが多いのではないでしょうか?)父方の方が、岐阜県恵那市岩村町、母方の方がこれも同じく岐阜県恵那市明智町というところまでと、両親の兄弟、僕からみて従兄弟、従姉妹までは何とかわかっています。僕の姓は、佐藤さんとか鈴木さんとかと違って、どちらかというとマイノリティなのですが、Oさんに触発されて、母が存命中に聞いておかなきゃいけないことだとか変に子供に伝えておきたいことだとか、そんなことを思うようになってきました。父親のことにしても(僕が、もの心ついた幼稚園時代から入院していて)、14歳の中2の時に結核で亡くしてるのだけど、戦時中、満州に行ってたことだとかくらいしか知ってなくていまさらながらこんなことじゃいけないっと呆然としたものです。まあそんなことで順不同には、なると思うけど少しづつわかる範囲で書いていこうかなと思ってます。

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2007年4月21日 (土)

同窓会(新宿東口)  (0021)

2113_05  大日本インキ(DIC)に勤めているA君からメールで4月13日(金)に小中学校のミニ同窓会の知らせ。A君とは50歳記念の高校の同窓会が名鉄グランドホテルで会って以来だから(それでも、もう・・・)5年ぶり。メンバーは、朝日新聞の常連T君とそれこそ中学校卒業以来というK君とO君、それとUさん。Uさんとは、高校時代に栄のジャズ喫茶で偶然ばったり会って以来・・・。東京在住で消息の判明した5名と北海道在住の僕。4、5年前の名古屋での小学校の同窓会には出張と重なって出席できなかったので、いろいろやりくり。それでも結局、当日は、外せないセミナーが札幌であって断念してしまった。当日夜の8時頃、携帯が鳴って受話器の向こうからなつかしい、盛り上がった声。後日、その日の写真が送られてきて、やっぱりそれぞれ面影がなつかしくて次回の再会を約す。

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2007年4月14日 (土)

総合商社のKさん  (0018)

 2つ年上のKさん、高松から名古屋支店に転勤してきてからの付き合い。2人とも20代半ば、取引先の商社の担当者で僕が購買担当者という関係で、すぐに意気投合した。名古屋駅付近のメーカー、商社、ありとあらゆる若人を募って「(自称)独身友の会」なるものが結成され、今で云う、合コン自主運営組織(みたいなモンです)を立ち上げ、友が友を呼んで結構な人数になった。アフター5になると、今日は、伏見、明日は、駅前と三々五々集まって、飲み会が始まった。夏は、会員各社の山の家、海の家などの保養施設を借り切って山登りをし、温泉に入り、冬は、野沢だ赤倉だと、名古屋駅のコンコースからよくスキーに行ったものでした。地下鉄の伏見駅の近くのビルのB1に「英国屋」というパブがあって、そこが、ベースキャンプみたいな当時の僕らの「溜まり場」だった。薫さんとは、彼女が原料メーカー窓口、Kさんが中間商社、僕が加工メーカーという関係だった。そんな関係で薫さんと知り合い、この集まりの中で僕らは親しくなっていった。野沢温泉や赤倉、栂池、八方尾根、冬になると休みのたびに僕らはスキーに出かけた。Kさんが居なければ、僕らはただの取引担当だけの関係で終わっていたかも知れない。その後、僕は、札幌へ転勤となり、波乱万丈の展開になって、2年後結婚することになった。名古屋に出張するたびに、Kさんとは、会い、昔話に花を咲かせ、薄れていく独身時代の町並みを思い浮かべながら飲みにいった。時はながれてKさんも名古屋の支店長におさまって、少し白髪が増え、僕も年輪を重ねた。名古屋駅周辺も当時とは、すっかり変わってしまって、伏見の「英国屋」も、今はもうない。

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2007年1月21日 (日)

同窓会(新橋にて)  (0002)

G224200v 高校時代のミニ同窓会が日本橋であった。午前中に札幌から羽田に着いて渋谷の道玄坂周辺を散策。夕刻までに八重洲口に着いてウロウロ。約束の6時までソワソワ。朝日新聞のT君とは、幼稚園~小学校~中学校~高校となんと15年の同窓。今回の集まりは、仕事柄、人脈も多く、世話役ぴったりのT君のおかげだった。彼とは昨年暮れ、札幌出張の折、声をかけてくれて以来だから数ヶ月振りの再会。あとのYさんとN君とは、何と30年振り以上の再会だった。30年の歳月を埋めるには、余りにも短いひととき。甘酸っぱい思い。年齢を重ねてもお互い多感な時期を共有した力強い絆。時間はあっという間に過ぎて、会えていなかった月日を埋めるために、あれも話をしようこれも聞いてみようと思っていたのだけれど、とても足りやしない。でも満足。そんなミニ同窓会が、これからも続けていけますように。T君、Yさん、N君ありがとう。

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