灯りの無い夜のススメ (0315)
エジソンのおかげで、僕らはすごく快適な夜を過ごすことができるようになった。 いつものことだけれどその利便性を獲得したことで失ったものも実は多い。 車を所有して足腰が弱くなったり、携帯が普及して無二の親友の電話番号でさえ、頭の記憶領域から喪失してしまったように・・・便利にはなったけれど・・・というわけだ。
最近、停電という経験をしなくなったけれど、僕のこどもの頃は、台風シーズンだとか雷が落ちたりすると結構、停電があって、やれロウソクだ懐中電灯だと大騒ぎしたものだ。そしてやっと見つけ出して灯したロウソクに、いろんな想いを重ねたものだった。 小さな頃、岐阜の山奥の母親の実家に行くと、古い大きな庄屋のような屋敷には、まだ電気を尊ぶような習慣があって、夕刻から夜が更けていく 「時」 の過ごし方に幼いながらも感慨にふけったものだった。今でこそ、煌々と灯る電気の下、時の暮れるのも気にせず僕らは暮らしているのだけれど、明治以前、ほんの数十年前まで、陽が暮れれば、それ相応の夜の暮らし向きというものがあったのだ。 昨今では、キャンプ場でもアルプスの山小屋でもカンテラでなくて、100ワットの蛍光管が灯る時代となってしまった。
子供たちがまだ小さい頃、庭にテントを張って、夏の間だけ、テントで寝泊まりしたことがある。 不自由なこと、不便なこと、これまた楽し。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

















































最近のコメント